会社沿革

100年をつくってきたチカラ。100年をつくっていくチカラ。

創業期 1907年〜1924年明治、大正期

1907(明治40)年、大倉喜八郎、松下久治郎が「日清豆粕製造株式会社」の名称で創立。
社名の由来は日本の「日」と清国(現在の中国)の「清」から。
1924(大正13)年、日本で初めてのサラダ油「日清サラダ油」を発売。

1907(明治40)年 大倉喜八郎、松下久治郎により「日清豆粕製造株式会社」の名称で創立
社名の由来は、日本の「日」と清国(現在の中国)の「清」をとったもの。東京に本社、大連に支店、工場をもうけ、大豆を原料とする大豆油、大豆粕の製造加工、貿易を業務とした
1918(大正7)年 社名を「日清製油株式会社」に改め、横浜市にあった松下商店および松下豆粕製造所(旧横浜神奈川工場)を吸収合併。それまでの大豆単一作業だけでなく、各種植物油および油粕などを多角的に製造、加工する体制をととのえた
1919(大正8)年 現在地に本社を定めた(当時の住所は京橋区塩町24~25番地)
1922(大正11)年 横浜工場で作られた大豆特製油を「美人印のフライ油、天ぷら油」という名称で、試験的に売り出し、大豆油食用化の先鞭をつけた
1923(大正12)年 大豆油の精製食用化のため新鋭機械を導入し、油の精製工場を大連、横浜両工場に新設、新製品の開発に乗り出した。これと同時に、本格的な各種植物油の搾油もできるようになった
1924(大正13)年 精製度の高い大豆油を使い、日本ではじめてのサラダ油、「日清サラダ油」を発売。
「ナイフとフォーク」のマークはこの時作られた。
最初に発売された「日清サラダ油」は600g入りビン詰めで85銭、姉妹品の「日清フライ油」はサラダ油と同容量のビン詰めで70銭。(当時、米1升が約45銭)